2018年3月11日日曜日

あれから7年の今、思うこと。

「放射能の話ができない」

これは、3月8日に開催した学びカフェに参加した東京の母親からも、昨日10日に世田谷の保養団体が主催した会に登壇した福島の母親からも聞かれた言葉です。母親たちは話しながら涙ぐんでしまうこともあり、また、聞いている私たちもこの7年間の想いを一緒に感じ、目頭を押さえました。いずれも20人、30人といった小さな規模の会でしたが、ここで共感できた「思い」の中に、子ども全国ネットのやるべきことが改めて確認できたように思います。


学びカフェ「あれから7年。たべもの、いま、どうなっているの?」を開催。


「聞いてみよう、話してみよう。7年たった今のこと」
福島のお母さんとともに、子ども全国ネットもファシリテーターとして参加。


3月7日に放送されたハートネットTV「母親たちの原発事故」で紹介された中京大学のソン・ウォンチェル先生による心理調査では、複数の不安が時期を違えて変化していることが示されていました。事故後は、食べ物や遊び場などの「生活」の不安、その後「健康」の不安は高止まり、昨年は「人間関係」の不安が急上昇していました。


3月7日放送Eテレ「ハートネットTV」より

人間関係の不安とは、単純な言い方をすれば放射能に対する「考え方の違い」が要因にあると言えるかもしれません。これは家族の中にもあり、生活をともにする分、より深いものになりえます。また、同じく不安に思っていても「居住」「避難」「帰還」といった子どものためにとった「選択の違い」によるものもあると言います。


数年前から子ども全国ネットの定例ミーティングでは、「“放射能”って、もともとあった問題を炙り出すよね」という会話がよくあがります。例えば、夫婦の問題や学校でのいじめの問題。もともとそうした火種がくすぶっていた中で、放射能や原発事故により問題が表に噴出させられるのです。また、多くの人の選択とは違う選択をした場合、本来的には個人の考えとして尊重されるべきものなのに、なぜか不必要に神経をすり減らす状況になる、といった空気感があります。「給食の牛乳を飲ませない」「町会が行う除染作業に参加しない」といった選択がまるで悪いこと(復興をさまたげるようなこと)のように言われることも。こんな事例をあげれば枚挙にいとまがないのが現状なのかもしれません。

「科学」(Mar.2016)の中で、早稲田大学災害復興医療人類学研究所の辻内琢也所長は、「慢性状態の急性増悪(※)」という言葉を紹介されていました。日本の社会構造における慢性的な病理が、原発事故により各所で露見し、多くの被災者・被害者を苦しめているというのです。

冒頭にあげた「放射能の話ができない」というのも、それに当てはまるといえる部分があるのではないでしょうか。心配なことが心配と言えない社会、人と意見が違ってはいけないと思わされる社会に少しでも風穴を開けていかない限り、子どもたちが生きていくうえでも息苦しい社会を残すことになるような気がしてなりません。どんな選択をしても受け入れられる社会となるようにしていきたいと思うのです。


本日、午後2時46分。
私は黙とうのあと、「子ども・被災者支援法」を改めて読んでみました。

第2条2項「・・・・居住、他の地域への移動及び移動前の地域への帰還についての選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない。」

自分たちの選択を国が支援してくれるということは(本来は賠償ではないかとも思いますが)、自身の選択が肯定されることになります。しかし、避難に関してはまるで逆の施策がとられています。この基本理念に忠実な施策がとられていたらどんなに良いか・・・そう思わずにはいられません。それ以前に「支援対象地域」の考え方を変えてもらわなければこの法文の意義も問われるのですが。

8年目に入り、私たちにできることはなんでしょう。
ここ半月ほどの間に関わった講演会やシンポジウムで心強く感じるのは市民の力。小さくとも、揺らぎのない思いが日本中に点在することが唯一の希望かもしれません。

小さな旗を揚げ続けよう!休んでもやめない!



(※)「ポール・ファーマーは2010年にハイチを襲った巨大地震による社会状況を、臨床医学で使われる言葉を使って『慢性状態の急性増悪』と呼んだ。植民地時代からの強国による社会的・経済的圧力、そして近代化の歪みといった歴史が作り出した慢性的な社会病理が、地震という打撃によって急性憎悪したと理解したのだ。」「科学」(Mar.2016 Vol.86)より。