ご存知の方も多いと思いますが、去年、『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』を書いた、毎日新聞・日野行介記者の新刊です。県民健康管理調査の秘密会、水野参事官の暴言ツイッター、公表されない調査報告書や個人の被ばく線量・・・本来、私たちが知るべき大切な情報をひとつひとつ、暴き、報道しています。
国の言う「支援」という言葉に違和感がある、と日野記者が言っているのを聞いたことがありますが、私も「支援」という言葉そのものに抵抗があります。
実は、私自身が、埼玉県に避難されている方たちと関わる活動の中で「支援者」と言われる場面があるのですが、とにかく居心地が悪いのです。ましてや自ら「支援者」を名乗ることなど、どうしてもできません。
「支援」と言えるほどのことができているわけではない、というのはもちろんありますが、それだけではなく、違和感の一番の原因は、「支援」という言葉が表す相手との関係性にあるのだと思います。
言語感覚の問題なので、人によって違うかもしれませんが、個人的には、「支援」という言葉は「する側」の一歩離れた立ち位置、距離を感じ取ってしまうのです。
今回の原発事故は特に、被害を受けた方であっても、「支援」する側であっても、日本に住んでいる以上、すべての人が関係者。
「あなたの問題」ではなく、「わたしの問題」ではないかな・・・と思うのです。
なので、私は「支援」という言葉を、原発事故以降、便宜的に遣っている感覚があります。身近にいる、「支援者」にも、私と似た感覚の方が多いような気もします。
前置きがゴチャゴチャ長くなりました。
言いたかったのは、その「支援」という言葉を、国が原発事故の被災者に対して遣う(遣えてしまう)おかしさのこと。
そもそも原発事故は原子力政策を推進してきた国の責任です。
そのうえ、例えば、先月、9月26日に「原発事故子ども・被災者支援法に基づく」施策として発表された、公営住宅の入居要件の緩和(詳しくはこちら)にしても、「支援」って何?と、二重に混乱せざるをえないのです。
いったい、だれがそれを望んだのか、その制度を利用する人がどれほどいるのか、どのくらいの人がその支援を喜ぶのか、まったく不明です。実際にニーズ調査を行ったのか、と復興庁に尋ねたところ、「パブリックコメントには住居のことが多く書かれていたので」という曖昧な答え。
支援対象にあたる関東に避難中の友人に聞けば
「公営住宅に引っ越せ、と言われても、周辺に入居できそうな公営住宅なんてないし、子どもを転校させたくないし・・・その制度を利用しようとは思えない・・・」
と困惑しています。
また、
「二重生活で経済的にもぎりぎりの状態だから、家賃が発生したらその時点で避難の継続は無理です・・・」
という方もいます。
「支援」という言葉遣いへの違和感のうえに、出てきた「支援」施策ですら、この状態であることを、いったいどのように表現したらいいのでしょうか。
いまも、あきらめずに声を上げ続けている人たちがいます。怒りを持ち続けることも、声を上げ続けることも、本当は疲れます。ましてや、慣れない避難生活の中で、たとえば母子避難だったら、子どもと一対一で向き合い続ける毎日の中で、国に対して「こうしてほしい」と言い続けることは、とてもハードルが高く、つらいはずです。
「私たちは、震災前は、こんな風に政治に関わらなくても、生きていられたんだよね」
「でも、声をあげなかったら何も変わらないから、言っていくしかないんだよね」
つい先日も、都内に自主避難をしているお母さんが話してくれました。
そういった、被害者の方たちの声を、国は真剣に受け止めてほしいと願ってやみません。
特に、賠償も「支援」も(そして健康調査すらも)ないままに放置され続けているいわゆる自主避難地域を対象にした、そしてその方たちのニーズに合った施策が今後きっと具体化するのだろう、と祈るしかありません。
そして、そういうお母さんたちの問題が、けっして、「あなたの」ではなく「わたしの」問題だ、ということも、日野記者の本を読んでみても、改めて感じるのです。
前作の「福島原発事故 県民健康管理調査の闇」も、秘密会が暴かれる過程にワクワクしながら(腹を立てながら)読みましたが、今回も同じようにミステリー感覚で読める一冊でもあります。特に、官僚へのインタビュー部分は、臨場感があります。
また、自主避難地域の問題がいかに意図的に無視され続けてきたのか、という全体像もよくわかります。
秋の夜長に、温かい飲み物を片手に、(・・・という穏やかな気持ちでは読めないかもしれませんが)ぜひ、読んでみてくださいね。
「福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞」(日野行介/岩波書店)
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(伊藤千亜)